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春を見つけに散策

紅梅
相馬市の高台にある工業団地の道路わきに植えられています。
紅梅と言うと夫はここに私を連れて来ます。
工業団地が売れ残っていたので、仮設住宅が1000戸以上建てられています。
3月20日 陽当たりの良い所は梅の花が咲いていました。
桜の蕾も大きくなってきました。
夫婦のティータイム
「今年はまだ梅の花咲いていないよね」と言う私を連れてドライブに
良く見てないだけだと言われています。

ロウバイ
脚を伸ばして隣町の山の海が見える山へ
花は終わりでしたがロウバイの実がなっていました。
実は初めて見ました。ごめんなさい!1個くださいね。
1個頂いて中を開いて見たら 中には種子が5個ありました。
どうなるか?鉢に植えてみました。
震災を免れた絵 我が家の猫

我が家の猫 ゴボゴボ
銀筆画
ふんわりした毛の感じが良いと思います。
個展を見に来てくれた小学生の女の子が100枚展示された中で、
この絵を一番好きと言ってくれたのを思い出しました。
夫婦のティータイム
こんにちは!
3歳の孫の春休み 「ひよこさんから桃組さんになるの」
孫三昧の日々です。
絵描きの息子が蕁麻疹で急きょ孫付きで新幹線で山形から福島へ
三日前に戻りました。
一日中孫と一緒です。
今日は息子夫婦が迎えに来てくれて、明日帰る予定です。
少しパソコンに向かう時間が出来ましたが、
少しの間もじっとしていませんのでどうなることやら。
帰ってしまうのが淋しいような ホッとするような。
少しずつ皆さんのブログ訪問したいと楽しみにしています。
流失した油絵 松川浦 福島県相馬市)

松川浦 福島県相馬市
穏やかな秋の日です。
遊歩道がありました。
潮の満ち引きで干潟になります。
海苔やアサリの養殖していました。
春には潮干狩りもでき、浦の中でハゼやカレーが釣れました。
夫婦のティータイム
私は昔 職場でボウフ採りに誘われました。
バスに乗り 遊覧船でこの絵の当たりに着ました。
「ボウフどこにあるのですか?」
「周りをよく見て、砂の所にあるから」
私は浦の中に生えている海草だと思い込んでいました。
ボウフって植物! 皆が笑いました。
私は浦に入ろうとしていたのですから、ボウフが砂浜に生えている!驚きました。
今思えば聞いておけばよかったのにね。
先輩は小さいナイフを持ってきていました。
サッと湯を通すと白い茎が真っ赤にかわります。
とても綺麗です。今では高級食材になりました。
海岸に行くと今でもボウフを探して見ますが少なくなりました。
今から40年以上前の笑える思い出です。
松川浦の復興 福島県相馬市

松川浦(福島県相馬市)
堤防がだんだん伸びてきました。
堤防の向こうは太平洋です。
復興が少しずつ形になろうとしています。
試験的に海苔の養殖が始まっています。
大潮や海が荒れると沿岸の道路に海水が上がります。
一日も早い復興が待たれています。
夫婦のティータイム
土曜日の午後仮設に住んでいるおばさんが、
花の植え替えをしている私達の所にきました。
「なんだ、また花やってんのか」(今日も花の植え替えをしているのか)
と声をかけてきました。
「おら(私)ハンコ押す時涙が出た。一生懸命働いて、子育てし、土地を買って家を建てて
ホットしたら流され、売らなくてはならない。なさけない。」と、、、。自分の物が何も無くなった。
自分の物が無いむなしさが骨身にしみて分ります。
二人でおばさんの言葉を噛みしめました。
流失した油絵 おひるね

おひるね
我が家の猫 ゴボゴボのおひるね
おてんばなお嬢さんでした。
だいぶ前に天国に行きました。
夫婦のティータイム
「テレビを見ながら震災の事を考えていた いつぱい亡くなったべぇ(から)この風に乗って帰って来るのかなぁ」と涙を滲ませて話す 隣の棟のおばさん。
「震災の日がこんな暴風の日でなくてよかった!」と、テレビの報道番組を見ながら、そして目をそらしながら
涙なくして見れない 語れない。
福島は「原発事故がなかったら、こんな二重の苦しみがなかったのに!」
津波だけならもっと復興が進んだはず。
ある意味で核のゴミ処理ができなければ永遠にブレーキのない車を走らせているのと同じです。
誰がこの車を走らせる事を許可したのか!
止まりたいけど止まれない!
震災の3月11日を迎えた私達のくやしさ、、。
3月11日(月曜日)
震災から2年そして3年目に入ります 夫は慰霊祭に出席。
全国、世界中の多くの方々からお見舞いやら励ましのお言葉を頂戴いたしました。
心から御礼申し上げます。
私のブログを訪問下さいまして、温かい励ましを頂きありがとうございます。
とても嬉しく思います。
これからも宜しくお願いいたします。
昨日は嬉しい事がありました。
私の友達に息子の絵を4枚買って頂きました。描く力に元気を頂きました。
被災を免れた絵 波

波
高い堤防の上からおし寄せて来る波を描く息子。
私達は防風林の松林できのこ狩りをし、弁当持参でよく出かけました。
綺麗な海でした。
夫婦の会話 生と死を分けた時間
「まだ釣りをする気持ちにはなれない」一年中と言っていい位 いろいろな海釣りをしていました。
津波だけならまだしも、放射能で魚が汚染されている。
「まだ波が怖い、、、」息子を避難させ自宅のある方に戻った時に、真っ黒いしぶきをあげて迫る津波を目前にしました。
その人の経験によって心に残るダメージが全く違うと思います。
「あと1分早く自宅に戻っていたら自分はいなかっただろう。
あと1分でUターン出来ない所まで行っていたから、、、。」生きていてくれた事に感謝。